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Hanafuda Project

花札で世界中を盛り上げていこうと思っています

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吉行淳之介と花札

吉行淳之介は1954年に「驟雨」で芥川賞を受賞した小説家ですが,実は彼はかなりの花札好きでした.

文藝春秋のサイトには実際に花札をしている写真が残っていました.

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また以下のようなコメントも残しています.

 このところ、勝負事はほとんど花札遊びしかしなくなった。それも、さし向いでやるコイコイで、相手はほとんど阿川某一人である。十年前、彼に手ほどきしたころと違って、実力も似たようになってしまったので、一年間の勝負を通算すると、ゼロに近い。そうなるともう勝負事の意味がないのだが、四季の風物を写した極彩の札がなつかしいし、札と札とが打ち合わさるときの堅い冴えた音がよい。私のストレス解消には、これが一番である。

吉行淳之介の花札遊び | 文春写真館 - 文藝春秋BOOKS

 

興味を持ったので,「軽薄のすすめ」という彼のエッセイ集を読んでみました.

すると,その中のひとつ「遊び仲間」には花札に関する様々な出来事が綴ってありました.

以下はその一部で,上のコメントにも出てくる阿川弘之とのやり取りです.

 それから数日経って、突然阿川が訪れてきた。「文学界」の小説を書いているのだが、その中にコイコイをやる場面が出てくるのに、その競技法を知らない。であるから、教えてくれないか、と言う。

 これが、以来十年にわたって私たちがコイコイに耽溺するそもそものキッカケなのである。

               *

 阿川が教えてくれというので、私は親切に教えてやった。「カスが十枚で一モン、拾の札は五枚で一モンである。菊の拾の札は、同時にカスとしても使える……」などと教え、彼が小説の場面に書く、というので、「トウケンの早逃げ」とか「早三光にコイなし」とかいう諺の類も教えてやった。

 一とおりルールを教えて、いきなり本番でやることになった。「強くなるためには、すぐに本式にやった方がいい」と私が言うと、彼はたちまち賛成した。コイコイの勝ち負けは、運が七技術が三くらいの割だとおもうが、腕前が違いすぎるときには、運のはたらく余地がないということが、このとき分った。

 すなわち、阿川は以来四ヵ月にわたって負けつづけたのである。

 「瞬間湯沸器」というのは、阿川のアダ名の傑作で新潮社の麻生吉郎がつけた。このアダ名のできたのは、はるか後年だが、人間の性格はそう変るものではないので、当時からすぐに頭に赫っと血の昇るタチであった。それも並大抵の赫っと仕方ではなく、負けがつづくと一層夢中になり、連日私の家にやってくる。古ぼけたパン焼き器のような形をしたルノーを運転して、馳けつけてくる。

 ある日、私の家にきた阿川が、玄関の自分の靴を隠しているので、その理由をたずねると、

「新潮社の田辺さんに見つかると困る。いまごろは、一生懸命原稿を書いていることになっているのだ。またコイコイでしょう、と言われたので、とてもそんなことをしている暇はないと嘘をついた」

 さっそく、座蒲団をまん中にして、勝負がはじまった。一時間ほどたったとき、部屋の戸が開いて、藤原審爾と田辺孝治が立っていた。

「こらあ阿川、原稿を書かなくては、いかんじやないか」

と藤原がいう。田辺孝治は、苦笑しながら睨んでいる。

「それにしても、靴が隠してあったのに、どうして阿川のいることが分ったんだ」

と私がたずねると、藤原は憮然として言った。

「門の前に、阿川のルノーが置いてあるじゃないか」

             (中略)

 その頃のある日、彼はこんなことを言った。

「某君に、忠告されたよ。三日にあげずコイコイばかりしていては、いけないじゃないか、というので、トンデモナイ絶対そんなことはない、と言っておいた。嘘を言ってるわけじゃないよなあ、三日にあげずじゃなくて、毎日だからなあ」

 

これ以外にも花札(というより阿川)に関する面白いエピソードが沢山ありました.

吉行淳之介阿川弘之には花札に関する逸話がまだまだありそうなので,機会があればまた話したいと思います.

 

原色の街・驟雨 (新潮文庫)

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